はじめまして。私は横井接骨院の横井伸幸(よこい のぶゆき)と申します。
昭和43年名古屋市瑞穂区で生まれ育ち、平成9年より隣の市の豊明市民になりました。
小学生から中学生まではとにかく模型が好きでプラモばっかり作っていました(今も人気なガンプラ大好き少年でした)。いやー楽しかったですねー、いろいろロケーションを考えながらの作りあげるのは…。また最近ガンプラにはまりつつあります。(大人買いしている自分がコワいわ。)
高校時代当時は「シルベスタ・スタローン」、「アーノルド・シュワルツネッガー」全盛期。ウェイトトレーニングにいそしむ毎日でした。(ムキムキになったわけではないですよ。)
音楽もしたくて「吹奏楽部」入部です。(フルート担当です)音を奏でるのは楽しいですね。
あとは「阪神タイガース」。楽しかったですね。私の応援のおかげで28年ぶりに優勝日本一です。
大学は音楽にはまってましたねー。そのころ好きなアーティストは、「ボン・ジョビ」や「ジャーニー」、「エイジア」や「ヨーロッパ」…。今も80年代が大好きです。
語りだしたらきりがないくらいです。そこで軽音楽部に入部し(ベース担当です)、すこしバンド活動のしていましたね。舞台のスポットライトは最高です。
悩みごとがなくって、楽しいことばっかりでしたよ。
なんやかんやでひっそり遊んでばかりいた大学時代でしたが、4年生のとき、今の仕事に入るきっかけが訪れたのです。
私は姉と兄がいるのですが、兄が接骨院を開業の準備をしながらインターン(修行)をしていました。その姿を見て少しあこがれちゃいました。私も白衣を着て人のためになる仕事がしたいと思いました。
そこで舞台を接骨院に替えスポットライトにあたりたいと考えたのです。
しかし、接骨院を開業するにはまず、専門学校に(私は中部柔整専門学校です)入って国家資格を取得せねばなりません。(知っていましたか?接骨院の本当の名前は「柔道整復師」と言うんですよ。私は入るまで知りませんでしたね。ゴッツイ名前ですね。)
今まで大学4年間遊びほうけていたので、さぁ大変です。過去問や参考書やいろいろ資料集めで必死でした。脳みそがとってもサビてたので熱でうなされそうでした。
入学試験まであと2ヶ月。そのころ世界は湾岸戦争勃発やらで何かとさわがしく、頭の中はパニック状態で何がなんだかわからない状態でした。
そうこうして何とか(本当に何とか!)入試に無事合格!
3年間の学生生活ののち、いよいよ国家試験を受けるために大阪へ。
試験か帰りの新幹線内で、皆で答え合わせをし、仲間全員が合格ライン以上点数があったの確認しガッツポーズをしたのを昨日のことのように覚えています。
数年のインターン生活を経て(インターン先は、あの100歳姉妹、故成田きんさんが通院していた接骨院です。きんさんは誰よりもリハビリしていましたよ。)
そうこうし、平成8年11月1日に開業です。
そう、豊明市に「横井接骨院」をです。やっとスタートラインです。
数年ののち、接骨院ではふつうの保険内の施術(治療という言葉はDr.しか使ってはいけないんですねー、ややこしー!)をしていましたが、保険内施術ではすぐに施術の限界が多く無力感というか絶望しました。治したくとも保険内では厚労省の施術制限が多くまったく思うように施術ができないのです。八方ふさがりです。
考えました、悩みました…。
保険を使うにはいろいろな施術制限があるんだって。
考えを変えて、だったら保険を使わないようにすればいいじゃないかと。保険を使わない施術をすればいいじゃないかと。他の療法を学べばいいじゃないかと…。
気持ちがスーッと楽になり心のもやもやが一気に晴れました。
それからできることは何かないか思っていました。アンテナを張っていると情報ってこちらに寄ってくるもんですねー!
1通のDMが届きました。内容は「3分で痛みを取り除く」的な内容です。とりあえず最初の体験セミナーに参加し、そこで手技というのを初めて体験しましたよ。ちょうど私の腰が調子がおかしかったので腰の手技を体験させていただいたのですが、ビックリです。
1手技でスーーーーーッと私の腰の痛みが消えていくのがわかったんです!
あの腰が…、何も痛みがない…。あんなわずかな時間で…。
…感動です。
この手技でなら患者さんを治して、今の私が味わった感動と感激を感じてもらえる!と思いました。
そこで決断。この手技を本格的に学びたいと思い勉強にはげみました。それこそ東京、大阪、九州、地元名古屋などあっちこっちに日帰り、泊まりと時間があれば、というかそのために数年土日、平日休診もかまわず勉強です。平日は夜中まで仲間が集まり手技の勉強です。
患者さんや家族にも迷惑?かけました。(奥さんや2人のお子ちゃまにも感謝です。何も言わずに見守っていたようです。もっとお子ちゃまにかまってやりたかったし、いろいろ連れて行きたかったですね。今となっては相手にされていないような気が…。)
さてさて気分を前向きにして、それがあるから今があるとして、いよいよ腕も上がり、気分一新ということでリスタートです。
いまの豊明市の玄関口である「前後駅」へ引っ越しです。いままでの患者さんも大切でしたがもっと苦しんでいる方のために何とかしたいと思ったのです。移転前は同じ豊明市でも電車やバスを乗り継いでの来院が多かったので遠方からもアクセスのいい場所を選んだわけです。そして現在に至ります。
まだまだ手技の勉強続行中ですが、いまはなるべく家族の時間を作ろうと思っています。
そのかいあって今や、地域一番の治療院になれたと自負しています。また、たくさんの方々に支えられているからこそ今があると感謝しております。また、しっかりした奥さんをもらい、2人の男の子にも恵まれ、日々幸せを感じながらすごしております。
これからも横井接骨院は技術、質の向上とともに気楽に相談できる治療院となって地域の方に貢献できるよう努力してまいります。
どうぞ末永くご愛願よろしくお願いいたします。
横井接骨院 横井伸幸